評価者の喜び?

評価講評を書く時

先日の研修の際、「評価者は講評を書いている時、評価の喜びを感じるはずです」

と講師の方が言われました。

あらら。講評を書いている時、私は喜びを感じたことがありません。

むしろ、どの言葉を選び、何をどのように書けば、相手の心に届くだろうか…と悩んで考察しながら直しながら書いているので、考えている方向がまったく違うのだなと驚きました。

そして、以前の経験を思い出しました。

頭から消えない言葉

私が評価者として活動して間もない頃、こんなことを言われたことがあります。

「評価するって、おこがましいというか、何様なんだって感じですよね」
「『利用者がノーを言える機会』 ?   頑張っているのに、 なんでそんなこと言われなくちゃいけないんですか」

言葉を尽くしても第三者評価という制度をご理解いただけなかったのは、私がいろんな意味で未熟でした。申し訳ないことをしたと、今でもその気持ちを忘れていません。

だからなんでしょうね。

講評を書くという作業は、相手を思い浮かべながら、何かを一つひとつ置いていく作業に思えるのです。相手に届けて、反応を見るまでは、喜びは起きようはずがありません。

喜びを感じるとすれば、その先の段階です。

それと、おそらく「喜び」という言葉がしっくり来なかったんですね。

あるとすれば、充足感なのかもしれません。

充足感を感じた時1

もう何年も前のことですが、その方はとても苦しそうな表情を浮かべていました。かける言葉も見つからず、途中、評価者全員が無言になりました。その方の苦悩も状況も理解でき、これ以上、この方を苦しめたくないと思ったからです。

その方は今、大きな声でハッキリとご自分の意見、事業所の進むべき方向性を語っています。スタッフに信頼されています。「ああ、何年もかけてここまで来ることができたのだ…」と目頭が熱くなりました。

私どもはあくまで第三者なので、直接手をお貸しすることができません。でも、進んできたことを一緒に語らうことができます。「成果が出ましたね」「こんなに変わることができたんですね」とお話することができます。自信や達成感のある表情で「何とかここまで来ました」とおっしゃるのを、うなづきながら聞くことができます。

評価者として充足感を感じるのは、そういう場面なんですね。

充足感を感じた時2

フィードバックであれこれとお話させていただいている時に、空気が変わることがあります。

当社代表はそれを「歴史が動いた」と言っていましたが、まさにそんな感じです!

大転換点を共に立ち会った、と言いましょうか。

もちろん、きっかけとなったのは、私どもの第三者評価です。

評価者冥利に尽きると言えるかもしれません。

この後変化を見届けることができれば、これは喜びになることでしょう。

充足感を感じた時3

これは、あくまで個人の感想ですが、利用者調査でも充足感のような感覚を味わうことがあります。

無反応だった方が笑った時

言葉にするとおかしな感じになるかもしれませんが、「あ、つながった」と感じる瞬間があります。そんな時、それまで無反応だった方が笑ったり、発語したりします。

私が障害児通所訓練施設に長いことボランティアスタッフとして関わってきたなかで、“つながる感覚”を育ててきたからかもしれません。言葉でうまく説明できなく歯がゆいのですが。

労られた時

気をつけて

最初は目を合わせてくれなかった方が、なんだかんだ言いつつも最後の設問までお付き合いいただき、最終的には「気をつけて帰るんだよ!」と見送られた時。

「気をつけて帰るんだよ」という言葉は、比較的よく聞きます。人って温かいなぁと感じて嬉しくなります。

時間も場所も現実とは違う認識の方でも、「気をつけてお帰りなさいね?」と言ってくださるものなんです。人の尊さを感じる瞬間です。

しっかりね

私の家庭環境について利用者の方に聞かれたことがあります。正直なところをお話しました。軽くお話したつもりだったのですが、私の手を握りしめ、「気丈なのね。そんなつらい経験を笑顔で話せるなんて。これからも、しっかり生きていくのよ」と、強い瞳で励まされました。

私の家庭環境が端から見て特殊なことはないと思うんです。 ただ、実際、見る人が見れば大変な環境でしたので、それを見抜いたその方の洞察力と共感力に感服しました。

理解して共感してくれる言葉は心に入ってくる…わかっていたけれど、良い体験になりました。人としてそうありたいし、評価者としてもそうありたいと思った瞬間でした。

呼吸が変わった時

利用者調査の項目はご存知の通り多いので、たくさんお話することになります。

そうすると、ふとした瞬間に利用者の方の呼吸が変わることがあるんですね。

肺が広がって、空気がよりたくさん吸い込まれていくような感じです。

そうなると、「15~20分の間会話を続けることを楽しんでいただけたかな」「今晩はぐっすり眠っていただけるかな」と思えるのです。こういう時は「今日、お話できて良かったです」と心から言えます。

握手

利用者調査の最後に握手を求められることがあります。

設問そのものは楽しいものではないと理解しているので、少しでもその時間を楽しんでいただけたらと願っておりまして、握手を求められたときは、楽しい時間になったのだなぁ…と安心します。

私からお願いして来ていただいた補助者の方に強者がおりまして、利用者調査の際に7割の方から握手を求められたんです。

利用者の方も楽しい時間を過ごしていただけて、補助者自身も充足感を味わい、私も良かった。Win-WinどころかトライアングルWin?

利用者調査のなかで楽しい時間をプレゼントできたらと考えている私にとって、うまくいったときは、喜びを感じますね。

充足感を感じた時4

第三者評価は基本的に3人で伺います。ところがこの3人、日頃からデスクを並べている間柄というわけではないので、何度も考え方の方向性をすり合わせます。合議は1回だけ行うものではないんですよ。

そして、お互いの原稿を読んだ時に、歯車が噛み合ったと感じる時があります。そうすると、「よしっ!」とガッツポーズが出そうな勢いで、ヤル気がアップします。

つまりは、コミュニケーションがうまくいったとき、同じ熱量で一つのことをやり遂げたときは、充足感が味わえるということのようです。

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人それぞれ喜びの感じる場面があるかと思いますが、私の場合はこんなところだというお話でした。

(Photo by bruce mars from Pexels)

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